- 18世紀に熱力学の問題を解くために、フーリエによってフーリエ級数が発明された。
- 熱伝導方程式と呼ばれる偏微分方程式を解く過程で発明されたもの。
$a_n=\frac{1}{\pi}\int_{-\pi}^{\pi}f(x)\cos{nx}\,dx,\, b_n=\frac{1}{\pi}\int_{-\pi}^{\pi}f(x)\sin{nx}\,dx$ $f(x)\sim{\frac{a_0}{2}}+{\displaystyle \sum_{n=1}^{\infty}{(a_n\cos{nx}+b_n\sin{nx})}}$
- フーリエ級数を使うといろいろな関数が三角関数の和として表示できそうということが分かった。
- これは任意の関数で成り立つだろうか? => そもそも任意の関数とは?
- フーリエ級数の定義には積分が含まれている。
- したがって(目的の関数を三角関数の和で表すための)フーリエ級数を計算するためには、元の関数を積分する必要がある。
- ニュートンとライプニッツ以来、この当時(19世紀初頭ごろ)まで積分は微分の逆の操作として定義されていて、積分可能な関数とはどんなものかが明確でなかった。
- したがってどんな関数に対してもフーリエ級数が計算できるか(フーリエ級数の積分が収束するか)の条件が不明だった。
- さらに言うなら、当時は関数というものも代数的なものやべき級数のようによく知られた形で表現可能なものしか主に扱われていなかったが、フーリエ級数を使うと折れ線がつながったような関数も表現できた。
- ディリクレは1829年にフーリエ級数が収束するための(十分)条件として、関数f(x)が区分的に滑らかであればよいという定理を証明した。
- 区分的に滑らかというのは、関数をいくつかの区間に分割してその中で連続になっていること。
- したがって、関数が繋がっていなくともよい
- ディリクレはこの定理によって関数の現代的な概念に達している。関数が代数的に表現できるかどうかなどは関係なく、「ある変数xに対してyの値がただ一通りに定まるなら、yは独立変数xの関数である」
- ディリクレの弟子リーマンは、ディリクレの仕事を引き継ぎ、「リーマンの局所性定理」を証明した。
- この定理は 2つの関数がある区間において一致するなら、その区間のフーリエ級数も一致するというもの。
- この定理はやがて、「2つの異なる三角級数がまったく同じ関数を表すことがあるだろうか」という問いに発展し、カントールの無限論に繋がっていく。
- 三角級数は、フーリエ変換よりも広義の級数(https://fujidig.github.io/201710-uniqueness/201710-uniqueness.pdf)
- リーマンはさらに、任意の関数が積分できるかどうかについて考察し、ディリクレの現代的な関数概念をもとにして(リーマンの意味で)積分可能な関数を定義した。
- その以前にもコーシーが積分可能な関数を定義していたが、ディリクレのような関数概念を元にしていなかったため、フーリエ級数の収束について考えるには条件がゆるすぎた。
- リーマンの仕事によって、不連続関数を含むさまざまな関数の積分可能性を考えることができるようになった。そして19世紀後半には不連続だったり極値をとるようなさまざまな関数を調べる課題が生まれたが、このときの解析学にはそれに答える手段がなく、無限小を正しく扱うための解析学の発展を待つ必要があった。
- 1870年にカントールは三角級数に関する定理を証明した。
- リーマンの残した「2つの異なる三角級数がまったく同じ関数を表すことがあるだろうか」という問題に対して、そのような三角級数は(すべての級数が0であるようなもの以外は)存在しないという「カントールの一意性定理」を証明した。
- 翌年には、2つの三角級数がある区間の中で有限個の異なる点をもっている場合でも2つの三角級数は一致することを証明した。
- カントールは一意性定理の条件をさらに緩和して、2つの三角級数がある区間の中で無限個の異なる点をもっている場合でも成り立つかどうかを考察し、さらに実数とはなにかについて研究した。
- 同じ頃、関数の理論の混迷した状況に対して解析学をきちんと定式化しようという動きほかでも起こっていた。
- 実数のもつ一番の特徴は「連続性」であり、これを表現するための方法として以下のようなものが発明された。
- ワイエルシュトラス: 連続性の原理
- デデキント: 切断の原理
- カントール: 区間縮小法
- 実数についての理解が進むと、実数のもつ無限の大きさと自然数のもつ無限の大きさに違いがあることが分かった。
- カントールが、無限にも区別があることを証明し、実数全体の集合は加算ではないということが分かった。
- カントールが無限集合の理論を構築したあとで、デデキントは集合をインフラとして既存の数学を整理しようとした(『数とは何かそして何であるべきか』)
- 集合によって自然数、有理数、実数、複素数などが構成できることが分かり、数や量や図形といった数学における「実体」は集合の言葉を使って一律に記述できるようになった。
- 集合論を使って数学を構成する動きが進む間に、集合論の中にパラドックスが見つかった。
- 代表的なものとして、1897年にブラリ・フォルティが、1908年にバートランド・ラッセルがそれぞれ集合論の中にパラドックスを発見した。
- どちらも、自身をも含むようなとても大きな集合を仮定して、矛盾を導くもの。
- 当時、数学を論理学に基礎づけて構成する「算術の基本法則」という著作をフレーゲが執筆していた。
- 論理学で使われる命題関数は集合と同等ものであるため、集合論にパラドックスが見つかったというのはすなわち論理学を基礎にして数学を構成することもパラドックスを含んでしまうということになる。
- ラッセルから集合論のパラドックスについて手紙を受け取ったフレーゲはひどく落胆したらしい。
- この時期の数学は基礎が揺らいでしまってると考えられて、数学の危機と呼ばれていた。
- ツェルメロは、「集合論でパラドックスが出てくるような集合は、普通の数学にでてくるものとは異なる種類のとても大きなもの。なので、大きすぎない集合だけを考えれば矛盾を避けて数学を構成できるはず。」と考え、パラドックスが生じないように限定された操作のみを認める公理系を考案した。
- 実際にはその公理から構成可能な集合は小さすぎて実際の数学の舞台としては不十分だったので、その後フレンケルが公理を追加した。これがツェルメロ・フレンケルのZF公理系である。
- 20世紀初頭にヒルベルトはヒルベルトプログラムというプロジェクトを開始した
- これは、集合論にパラドックスが見つかって基礎が揺らいでしまったこれまでの数学にたいして、その体系の完全性と無矛盾性を「有限の立場」という方法を用いて証明しようとするもの。
- この試みは、1930年のゲーデルによる不完全性定理によって打撃を受けたが、その後も研究が続けられ、ゴールを修正した上で、2005年の段階で大体の作業が終了したらしい。
- ZF公理系によって大きすぎず小さすぎない集合のみを対象にして不自由なく数学ができるようになった一方で、集合論のパラドックス自体を解消させることは結局できず、その原因となった形式的算術と外延的直感の隔たりを融和するという問題は先送りされてしまった。
- ZF公理系は完全なものではなく、連続体仮説のようなZF公理系からは証明も反証もできない命題が存在することが分かっている。これについては数学基礎論という分野でさらに研究が進められている。
- 「『集合と位相』をなぜ学ぶのか」(技術評論社)
- 「物語 数学の歴史 正しさへの挑戦」(中公新書)
- 「集合とはなにか」(講談社ブルーバックス)
- 「『無限』に魅入られた天才数学者たち」(早川書房)
- 「論理学」野矢茂樹(東京大学出版会)
- 「【詳細版】 1+1=2 笑えない数学 ~笑わない数学の笑えない間違いの話~」